2020-05-19 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
今、根本先生からありましたが、きょう、自民党三人、根本先生がトップバッターで、次が私、三番目が群馬から中曽根先生ということで、三人が質問させていただきます。真ん中の私が、今五分なくなりましたけれども、十五分の中で限りなく具体的に御質問させていただきたいというふうに思います。
今、根本先生からありましたが、きょう、自民党三人、根本先生がトップバッターで、次が私、三番目が群馬から中曽根先生ということで、三人が質問させていただきます。真ん中の私が、今五分なくなりましたけれども、十五分の中で限りなく具体的に御質問させていただきたいというふうに思います。
自衛官の採用対象者人口の減少、また高学歴化、そして労働市場が売り手市場であることなどから、中曽根先生御指摘のように、今、自衛官の採用をめぐる環境というものは厳しさを増していると言っていいかと思います。 しかしながら、我が国の防衛を担う自衛官を安定的に確保するということは、まさに安全保障上、極めて重要な課題であるとも認識をしているところであります。
次に、先日、メキシコ大統領の就任式に、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領が就任され、中曽根先生にちょっとお話をさせていただきましたが、ロペス・オブラドール大統領は、中南米諸国から不法移民問題解決のため、貧困対策として米国とカナダに投資など協力を求めています。ロペス・オブラドール大統領、エブラル外相と会談された中曽根先生のお話を聞きたいんですが、今日はこちらへ来られませんよね。
○アントニオ猪木君 メキシコ大統領の就任式に中曽根先生が出席されたようですが、詳しくお聞きしたいと思いますが、もう時間なので、また機会があったらいろいろメキシコの情勢をお聞かせください。 お疲れさまでございました。
このとき、河野派を継承いたしました中曽根先生のお言葉が、その颯爽とした雄姿とともに、今も私の脳裏に焼き付いています。 恩師中曽根は、我々学生に向かってこう言いました。早稲田出身の政治家は、なべて悲劇の政治家だ、それはなぜか、それはそれだけ大衆と密接していた政治をしていたからにほかならないんだと、こう喝破されたのであります。
つまり、これは実は、当時の外務大臣、中曽根先生でいらっしゃいますけど、中曽根先生の方のコメントとしてこれは外務省に確認をしてほしいということでございまして、事務方がいろいろやってきたことだろうと思いますけれども、だとすると、今後のいろんな今世界の状況が変わっている中で非常に重要な点だろうと思いますが、そういう見地から、大臣、ただ官僚の人が回したメモを読むんじゃなくて、そういう観点からちょっとお答えいただけませんか
また、中曽根先生におかれましては、過去の代表質問で、日本国憲法、マッカーサー憲法とも言われるように、GHQの主導で作られたものとおっしゃっております。
私は、憲法を見て、前文とそして特に第一条というところを見まして、中曽根先生の白寿のこの間出された本を読んだり、いろいろな憲法、読売憲法草案でもそうなんですが、諸外国の憲法を見ましても、主権は国民に存するという一言が真っ先に普通出てくるということで、ゼロ条ということを中曽根憲法改正草案等では言っていたり、第一条に主権は国民に存する、こういう言葉を試案として出しているのが多いんですが、現憲法は、第一条に
中曽根先生も御著書の中で、よく、総理の一心は狂気がなければ変えられるようなものではないんだということをおっしゃっております。大阪の橋下市長を見ておりましても、ここまでやるのかということがなければ、あの地方の改革も動かないと思うわけであります。 まさに、目の前の問題は当然やること、そして中長期にやることは、やはり政治が身を賭してやる。
○国務大臣(塩崎恭久君) 中曽根先生と一緒に上野先生も私のところにおいでをいただいて、閉館反対ということで御陳情いただいたことを覚えておるところでございます。
中曽根先生がよくおっしゃいます、この国は今、第三の転換点にあると。幕末と、そして終戦時と、その次の転換点。まさに我々は、分配の政治から今、削減する政治に移らなければならない。これ以外のものは考えつかないということは、もう本当に、政治家が真剣にこの国家のことを考えれば、私はこれを今すぐにでもやるべきだと思います。
中曽根先生が言われるように、政治家は歴史の法廷に立つ、それが仕事だというふうな話をされたので、罵声とか甘んじて受けたいと思うんですけれども、ただ、ちょっとそういう話をいろいろ聞いていると、誤解とか固定観念とか変なイメージに支配されて、またそれをベースにいろいろ話されている、又は話合いを通していろいろ話すんですけれどもなかなか話を分かってもらえない、通じないという現象が非常にあったなと思いました。
その中心が菊乃井という料亭の村田さんという方ですが、昨年、世界遺産に登録をされた大きな原動力に実はなりまして、微力ですが少し貢献をさせていただいたと、そんな次第でございまして、今回、それを機に、ここに中曽根先生がおられますが、役員にもう皆さんなっていただいて、自民党の中に日本食文化普及推進議員連盟というのを立ち上げさせていただきました。現在、九十四名の方に御入会をいただいておりますが。
○国務大臣(下村博文君) 先日、中曽根先生の地元の群馬県の県議会の方々が来られまして、農業の高等専門学校をつくりたい、協力をしてほしいという話がありましたので、群馬県ではそういうニーズがあって、いろんな関係者の理解が得られるのであれば応援をいたしますということを申し上げましたが、そういうふうにいろんな地域でいろんな多様な教育を積極的に提言しながら、また今委員の言われるマイスター制度とは直接は関係ありませんが
大平内閣から始まって、中曽根先生のときの売上税の問題等々、山頂登山でいえば二度のアタックにそれぞれ試みられて、三度目の挑戦ということで、竹下総理はいろいろなことをお考えになられて、後に六つの懸念等お示しにもなられて、そうした間接税に対する国民の不安というものを一つずつ御丁寧に払拭しながらこうした税収構造の見直しに取り組んで、最初の消費税を導入なさったというふうに私感じております。
これは中曽根先生、中曽根弘文外務大臣が二〇〇九年五月、これは調べましたらば、外交関係開設八十周年のときということでございます。 これは、確かにどういう働きかけをイランに対して行うかというのは、それはいろいろな御提言いただいてももちろんいいんです、それは当然。
そのときに、当時の外務大臣は中曽根先生だったと思います。中曽根先生は、FTAAPの道筋は意義として認めて、二〇一〇年までにビジョンを作るというようなお話をされていました。補足の質問でTPPについて具体的に日本はどういうスタンスなんだとお尋ねをしたときに、当時の副大臣は、この動きに高い関心を持っている、これから真剣に検討を進めてまいりたいとおっしゃいました。 あれから三年たちます。
それから、中曽根先生の時代等々を中心に防衛問題、国防、こういう費用の議論も出ました、対GDP比何%だと。懐かしい議論でありますが、これは四兆八千億という規模であります。ODA、これもちょっと国会でこの間議論出ました。ODAを削減していいのかどうかと、こういう問題。ODAは五千億です。
中曽根先生は、民間企業での勤務、総理秘書等を経て、昭和六十一年の第十四回参議院議員通常選挙において初当選をされて以来、連続五回の当選を果たされ、今日まで二十五年の長きにわたり本院議員として活躍をしてこられました。
しかし、それから更にそれがもっと過激になってきて、規制緩和が進み、小さな政府が善だといって、あのころからレーガン、サッチャー、日本でいえば中曽根先生のところ辺りがそういった時代を経て、今言われたような話になってきているのが最近の流れなんだと、私はそう思っております。